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素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

平成日本紀行(152)吾平 「吾平山稜」

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九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(152)吾平 「吾平山稜」   、






吾平山上稜は全国でも珍しい岩屋の陵で、県下の神代三山陵の一つ。 大隅半島の中央を貫流する肝属川、その上流・姶良川の清冽な流れのほとり、山紫水明に包まれた景勝の地にある。




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「吾平」と「姶良」は同じ”あいら”と読むのだが、その関連性は・・?  、


佐多岬の断崖絶壁からの展望を満喫して戻ることにしよう。
R269の大根占までは先刻見慣れた風景である。 

大根占町(旧)の東隣の町に「吾平町」(あいらちょう)がある。 
ここで、先般「薩摩川内」の項でも若干記したが、「吾平山稜」(あいらさんりょう)について更に述べてみよう。

吾平町の中央部に、あの薩摩・鹿児島県の神代三山稜の一つで「吾平山稜」が鎮座している。山陵とは、一般に天皇・皇后の塚墓のことであり、吾平山稜の祖霊は、神武天皇の御父君・鵜草葺不合命ウガヤフキアエズノミコト)、 そして御母君である玉依姫(タマヨリヒメ)のものとされている。

境内は清流と神聖な樹木が鬱蒼として清々しく、数百米にわたり玉砂利が敷き詰められていて、別世界のような静かな世界を形成している。
雰囲気が伊勢神宮の内宮に似ている処から「小伊勢」とも呼ばれているという。 


拝殿の前は沼池が配してあり、その向こうに本殿御陵が岩窟の中にあって、神代三山稜の中で随一岩屋の陵になっている。
その窟内に大小二つの塚があり、大きい塚が神武天皇の御父君、小さい塚が御母君の御稜とされている。 

この御陵山を鵜戸山(うどさん)といい、窟を 鵜戸窟と称している。 
鵜戸というと日南の鵜戸神宮と同じで、こちらの神宮は鵜草葺不合を主祭神とし、天照大神から神武天皇までの六代の皇祖神を相神として奉っている。 
この神宮へは本日、この後訪れる予定である。


吾平山稜は大戦直前の昭和10年11月、昭和天皇が御親拝になり、昭和37年5月には皇太子(現、今上天皇)、同妃殿下が御参拝されている。 
正月、初詣には近郷近在から、数万の参拝者がお参りされるという。



ところで、薩摩には「吾平」と「姶良」というの二つの「アイラ」という自治体が存在する。 

姶良は、鹿児島市の北、両半島(薩摩、大隈半島)の付け根に当る地域に姶良郡姶良町である。 
一方、こちら吾平と書くと、普通「ごへい」と読んでしまいそうだが、この二つの「アイラ」には何か関連性があるのだろうか・・?。 


この吾平山稜の脇を流れているのが姶良(あいらがわ)で吾平町中心を北流している。
そして吾平町は、以前は姶良郡姶良という自治体名であったという。 


古代、この地方の大隅国では四つの郡があり、その中に姶羅郡(あいらごうり)というのがあったらしい。
一方、始羅(しら)郡と呼ばれていた地域があったそうで、これらの地名に使われている「姶」と「始」の文字は似ているので紛らわしく判別が付き難い。 
その為、近代以降単純化して「姶良郡」に統一されたとも言われている。 

吾平山稜の周辺地においても姶良村や姶良川等の地名、固有名が存在した。
そして、姶良村は1947年(昭和22年)町制施行の際「姶良」を「吾平」と改めているのである。

吾平という町名は、吾平山陵が由縁であることは確かだが、尚且つ、神武天皇の妃(きさき・妻)の御名が「吾平津姫」(アヒラツヒメ)と称し、故に吾平山稜、吾平町が誕生したともされている。 

吾平津姫は、字のごとく「アヒラツヒメ」と呼んでいたが、旧地名に因んで語呂も良く、吾平は次第に、或は町が誕生した時に「あいら」と読むようになったのかも知れない。


しかし、「吾平町」は周辺の鹿屋市、輝北町と2006年1月1日対等合併し、新市制による鹿屋市となっている。
又一つ、歴史ある町名が消えることになった。



相変わらず見通しの良い海岸道の一本道が続く、R269から一部県道を乗り継いで、R220を行くことになる。 

鹿屋市の高須、天神、古江、垂水市の新城、宮脇、柊原、浜平、垂水と大隈半島錦江湾沿いの地名が連なるが、かってはこの地を鉄道が走っていたらしい。
日豊本線国分駅から鹿屋を巡り、高須から大隈半島を横断する形で吾平町を通り、日南線志布志迄行く国鉄・大隈線であった。 
結局は国鉄合理化の一環として1987年に廃止された路線であり、全通してからわずか15年目のことであったという。 

当時は、鹿児島市鹿屋市を結ぶ幹線鉄道であったが、鹿児島湾をぐるっと廻る為に鹿児島湾を渡る船便の方が速く、移動するには致命的な欠点があったとされた。 
又、沿線は人口が少ないうえ、自動車の普及が盛んになり、国鉄経営再建のためにも廃止につながったようである。


次回は、「鹿屋

  
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