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素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

平成日本紀行(136)竹田 「竹田・岡城」

.九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(136)竹田 「竹田・岡城」  ,




http://blog-imgs-67.fc2.com/h/a/r/harutaseiro/2014052222351497d.jpg
豊後竹田・「岡城址





http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/500/36/57/82/500_36578216.jpg?1418728488
本丸跡に建つ「滝廉太郎像」




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岡城と名曲・「荒城の月」とは・・

豊後国風土記」によれば豊後には八つの郡があり、それらの郡名は基本的に現代まで引き継がれて使用されている。 
その中の直入郡には「郷4、里10、駅1」、大野郡には「郷4、里11、駅2、烽1」があると述べられている。 

このことは八世紀の奈良期の頃の地方の行政単位や軍事施設が確認することができ、大野川流域・地域もしっかり中央政府の支配下にくみこまれていることが判る。


その大野川流域が注目されるのは、平安時代の終盤からであるという。 
平家滅亡後、頼朝と対立した義経をこの奥豊後の地・「竹田」に迎えるための城を用意したといい、それが竹田市の「岡城」の始まりであるといわれている、しかし、義経の豊後下向は失敗した。 

頼朝に敵し得ないことを知った義経は、西国へ逃れることを模索して京都を発ち、摂津(大阪)の大物浜から乗船して九州を目ざしたが、船が難破して渡海をあきらめた。
鎌倉幕府の九州支配が開始されると、豊後国は頼朝の知行国として直接掌握され、頼朝の支配が大野川流域にまで及んだ。 
それは頼朝直系の家臣・「大友氏」を守護として豊後に赴任させた時期でもあった。


16世紀末、大友氏の滅亡した後の江戸期の豊後は小藩に分けられ、その結果、大野川の流域は概ね岡藩(中川氏)の領となった。 
内陸部を領地とした岡藩は、参勤交代や諸物資交易のため大野川の水運を利用すようになり、克つ、瀬戸内海運への重要拠点として中流域に犬飼町と河口の三佐町鶴崎(大分市)の整備に力をいれ、犬飼は岡藩主の中継、休憩基地として繁栄している。 
また河口の鶴崎は熊本藩の豊後拠点であり瀬戸内への窓口、参勤交代の中継地として繁栄した。
その後、大野川の船運は江戸時代から明治時代に入ると、竹田まで通じるようになり更に発展することになる。


竹田の「岡城址」は市街の東方、標高325mの天神山台地に築かれている。 

大野川と稲葉川のほぼ合流地点にあって天然の要害をなし、険しい地形を作り出している。 岡城石垣は苔生し草茂るも堂々とした造りで、曲線を多用しているところは熊本城の「武者返し」に似ている。 
世に岡城は、難攻不落の日本三険城の最上の城ともいわれている。

中世・平安末期の1185年頃の岡城は、平家が壇ノ浦で滅亡した際、豊後の豪族である緒方惟栄(これよし)が「源義経」を迎えるために築城したのが始まりと伝えられている。 

緒方惟栄は平安時代末期から鎌倉時代初期の武士で、豊後国大野郡緒方庄(現在の豊後大野市緒方町)を中心に活躍し、平家物語にも登場したほどの人物である。 
元々、荘園・緒方庄は宇佐神宮の所領で、緒方氏はその領主をつとめ平氏側の一族であった。 
平家一族の都落ちを知ると一族を率いて源氏方に寝返り、平氏の九州上陸を阻止するなどの働きを見せた。 こうした緒方一族の寝返りによって鎌倉幕府の九州統治が進んだともいわれる。

源義経源頼朝に背反した際には義経方に荷担したとされ、このとき彼を匿うために築城したのが岡城とされている。

しかしこれが仇となって、後に処罰(流罪)されることになるが、ただし処罰の対象になったのは惟栄とその直接の親子兄弟のみであったため緒方一族の大勢には影響がなく、その系流にある各家は後々まで豊後南部を拠点として活躍し続けたという。

鎌倉末期に大友氏の一族・志賀貞朝がその砦を修築、拡大させ「岡城」と名付け、代々の居城とした。


次回も 「竹田・岡城」(Ⅱ)

  
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