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素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

新・日本紀行(119)長崎 「寺町へ通じる石橋(眼鏡橋)」


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)






『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



 新・日本紀行(119)長崎 「寺町へ通じる石橋(眼鏡橋)」 






長崎名所・眼鏡橋





 長崎名所「眼鏡橋」(下部「袋橋」から望む)と磁器版の案内図





  
「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします


眼鏡橋をはじめ各石橋は、寺町の各寺院に直結していた・

さて、長崎の主な町人の街は今の賑町、栄町、魚町、桜町といった辺りであろうが、寺町の各寺院へ参詣に行くには真ん中に中島川が流れ、通行を遮断していたのである。 
その為、江戸初期には克って架かっていた木橋、木廊橋(屋根付きの橋)が次々と石橋に架け替えられたという。

この長崎の石橋は中国人が多く関わっているといわれる。先ず「高一覧」(日本・中国語の通詞、通訳)が独力で1650年に大手橋を架けて以来、中国人同士の競争意識が働き石橋群が生まれたという。
これらの唐風石橋群は長崎町人たちの生活の道であり、寺町の仏寺院に参詣に行く参道としての重要な役割を果たしてきた。


中島川の上流から下流まで石橋群は18橋ほどあるが5キロほどの短い川に架けられた数としては他に例を見ないという。
過剰気味のこれらの橋は僧侶、通詞(外交官、通訳)、商人などの個人の財力で造られたといい、長崎が鎖国時代唯一の外国貿易港であり、天領であった豊さを物語っているともいえる。

その眼鏡橋であるが・・、
長崎市電(長崎電軌線)の賑橋駅(にぎわいはし)から直に、その「眼鏡橋」が架かっている。
中島川に架かる第10橋で、眼鏡橋の名称は川面に映った影が双円を描き、眼鏡のように見えることから、その名の由来といわれている。 
昔より「錦帯橋」(山口県岩国)、「日本橋」(東京)とともに日本三名橋の一つとして名高い。


眼鏡橋は1634年(寛永11)、興福寺二代住持、唐僧の黙子如定(もくす にょじょう:江西省出身)の技術指導で架設されたともいわれ、日本最初のアーチ式石橋でその石橋建造技術は全国の規範となったといわれる。
昭和35年眼鏡橋は国指定重要文化財となっている。 

その他の石橋も昭和46年には阿弥陀橋、高麗橋、桃渓橋など、10の橋が市指定文化財に指定されている。 だが元々、橋銘は今のような名前はなく、阿弥陀橋を「第一橋」として上流から順に「第二橋」、「第三橋」と番号で呼んでいたらしい。

現在の橋銘は明治15年頃に長崎の儒学者(漢学)の西道仙(にし どうせん:明治時代のジャーナリスト・政治家・教育家・医者)が付けたものが大部分と言われる。
眼鏡橋の傍には磁器焼き物で設えた「石橋群案内図」があり、これを見ると各石橋は寺町の其々の寺院に直結しているのが判る。


因みに、この国宝・眼鏡橋を真直ぐ寺町方向へ進むと多くの寺が建ち並んでいる一角である「晧大寺」( こうだいじ)に突き当たる。 
長崎でも名の知れた寺らしく、晧大寺のすぐ右が大音寺(だいおんじ)であり、それに、長崎駅近辺(筑後町)の「本蓮寺」(勝海舟長崎海軍伝習所時代にここに住んでいた)の三寺院を合わせて長崎の三大寺院とも言われているようである。

そして晧大寺を特に有名にしているのは先の大浦天主堂の項でも記したが、イエズス会宣教師・クリストヴァン・フェレイラ教父が、時の政権に改宗するように「穴吊り」の拷問をうけ、棄教して仏門に入ったとされ。 
仏教徒に無理矢理に転宗させられた後の彼の檀那寺(自分の家が帰依して檀家となっている寺)が「晧大寺」であったという。



長崎市内見物を終えて・・?、と言いたいところだが表面的な周遊観光したに過ぎない。
長崎という街は、実際はまだまだ歴史的見所が多く奥が深いのである。 
何せ、原爆被爆という、とてつもない体験をしている事に加え、顕著なのが長崎は日本で唯一、開国の天領だったところでもある。

江戸期のわが国は鎖国時代で、外部外国の情報やら物資は一切見聞きすることは無かった。
ところがここ長崎は、アジアに代表される中国、ヨーロッパに代表されるオランダとの交流交易が堂々たる認可の下で行われていたのである。
そして、それらに関する歴史的遺構、現存施設や建物が町中に集積、又は拡散しているのである。
これらに興味があって長崎市内を隈なく観光、観察するには、とても3、4日では巡りきれないのではないか・・?とも思われ、実感した次第である。


次回は諫早


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