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素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

平成日本紀行(172) 中津 「中津城」

 平成日本紀行(172) 中津 「中津城」    .






写真:中津城天守閣は昭和39年に建設されたもの)




ビッコの軍師・「黒田官兵衛」が中津の礎(いしずえ)を造った・・

山国川河口には、壮麗優美な「中津城」が立つ。
築城の名手といわれた黒田如水が、心血を注いで築城を開始した名城といわれ、戦国期の16世紀後半頃より築城が始まり、継承して細川氏の時代に完成をみている。 
その後、江戸・藩政時代は小笠原氏、奥平氏と変じて明治を迎えている。


豊前・中津は天正16年(1588) 、豊臣秀吉による九州征伐の軍功により豊前16万石を与えられた黒田官兵衛孝高(如水・よしたか) が入部し、中津城の築城に着手しながら城下町造りをもスタートする。 
しかし、孝高は城および城下町づくりが未完のうちに福岡へ転封され、その後を受けて入部したのが 細川 忠興だった。 

実際は家督を 忠興の三男・忠利(ただとし) に譲って中津の町づくりが継続しておこなわれることになる、これが今の中津の原形となっている。 

県北の雄藩として歴史や文化を育み、「西の博多か、東の中津」(明治の鉄道唱歌)と唄に歌われている。



黒田如水は戦国期、豊臣秀吉の側近として、竹中半兵衛亡き後「ビッコの軍師・官兵衛」として活躍する。 

織田信長に反旗を翻した荒木村重の説得に向かったが、「友人の荒木村重が私に危害を加えることはない」と“たか”をくくっていた為に油断し、捕縛されて土牢に押し込められる。 

1年後に救出されるが、長きにわたる土牢生活のために脚部の関節に支障を来たし、上手く歩くことが不可能となったという次第である。 
官兵衛孝高(かんべえよしたか)の軍師としての活躍については、小生も読んだ司馬遼太郎の「播磨灘物語」( 播磨は官兵衛の出身地)に描かれている。

官兵衛は、さらに主君・秀吉にもその底知れぬ才覚を逆に恐れられたという。
それは後に、秀吉の名だたる側近が軒並み大大名となるなか、官兵衛は天正15年(1587年)、僅か豊前国内6郡(現・大分県中津)に12万石を与えられただけであった。 

官兵衛の才覚は、本能寺の「信長討ち死」の報を聞いた時、即座に秀吉に天下取りを進言したとも言われる。 
そのことで秀吉は、「自分の死後天下を取るのは黒田官兵衛である」と思うようになり、更に、「私の後釜を孝高が狙っているのではないか・・?」と、秀吉に危惧を抱かせたためとの説もある。
その子の「黒田長政」は筑前国福岡藩の当主として活躍していることは、既に、福岡の項で述べている。

中津藩(大分県中津市)城下の蔵屋敷で下級藩士福沢諭吉が生まれている。 
明治期の思想家で慶應義塾の創設者として有名、明治の六大教育家に数えられ、一万円札の肖像にも使用されているのはご承知である。



国道10号を走り出してまもなく、豪奢な施設の「道の駅・豊前おこしかけ」というところで小服した。 
先ず立派なトイレにビックリした、なんでも“駅造り”の目玉に、TOTOとプロジェクトチームを組んで“日本一思いやりのあるトイレ”の完成を目指し誕生したという。 

駅の名が「豊前・おこしかけ」という変てこな名称も、文字通り“お腰掛け”で、なんとなく頷けるのである・・?。 
尤も、あの宇佐神宮に祭られている「神功皇后」が旅の遠征の途中、休憩と景色を眺めるために座った大きな石がこの地に有るとされ、この石を「おこしかけ」というそうだが・・。


国道10のバイパスになっている有料道路「椎田道路」を行く。 
行橋から再び一般道のR10を北上する頃、苅田町辺りから左遠方に点々とした山波状の丘陵地が見えている。
平尾台」といって、高知県愛媛県の県境にある天狗高原・「四国カルスト」、山口県秋吉台」とともに、日本の三大カルスト台地の一つである。

「カルスト」とは、ヨーロッパ南部の小国・スロヴェニアのカルスト地方に見られることから、その名が付いたといわれる。
石灰岩の台地でカレンフェルト(鋸歯状の地形)、ドリーネ(スリ鉢状の窪地)などといった石灰洞などが発達する特有な地形である。 
石灰岩の表面が雨水によって溶解浸食を受けやすく、又、割れ目に沿って滲み込み、周囲の岩石を溶解して内部に鍾乳洞などの洞窟を造りやすい。

ここ平尾台も、広大な草原のところどころに「カレンフェルト」と呼ばれる大きな石灰岩が散在する独特の風景で知られる。 
標高300~700m、南北6km東西2kmの日本でも有数のカルスト台地で、緑の中に白い石灰岩が羊の群れのように顔を出す風景から“羊群原”とも呼ばれ、千仏鍾乳洞や牡鹿洞などの鍾乳洞が有名である。 

台地全体が国指定天然記念物になっていて、場所柄も福岡南部の至近にあり、地域の人々の行楽地にもなっている。 


次回、「湯布院

『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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