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素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

平成日本紀行(147)知覧 「特攻平和会館」


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)




『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
.






 平成日本紀行(147)知覧 「特攻平和会館」    、





写真:整然とした「特攻平和記念館」



https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fc/Chiran_high_school_girls_wave_kamikaze_pilot.jpg
特攻に向かう飛行機とそれを見送る女学生




旅の記録;「日本一周」へリンクします

今の平和は、過去に知覧で起きたような犠牲の上から成っている・・! 、

知覧の街中を貫く主要道路の県道23号は、空中に電線が1本も張られてない開放感のある道である。
両側には程よく剪定された槙(まき)の木と花壇を設けた造りで飾ってあり、真に雰囲気が良い。 


暫く行くと今度は道の両側に石灯篭が等間隔に配されている。 
これは知覧町内から少し外れた薩南工高から平和公園までの凡そ2kmの区間に連なっていて、実はこの石灯籠は全国から寄せられた浄財で作られ、目標を壱千参拾六基、建立する計画であるという。 

1036個という数字は知覧基地を中心とする主に陸軍の特攻隊員の人々のことで、沖縄特攻で散華された若者達の御霊(みたま)の数であり、現在でも建て続けているらしい。


緑の園地が広大に広がるここのエリアは知覧平和公園と称し、この中心に「特攻平和会館」がある。 

桜並木の一直線が遥かに続き、奥の一角に数件の茶店が並ぶ。 公園の中心にこれだけ御土産屋が並ぶのも珍しい、実は「特攻記念館」という国内でも極めて稀な記念館なので見物に来る人々が耐えず、連日大型バスが連ねるという。


記念館周辺で先ず目に付くのが、当時使用されていたと思われる戦闘機のモデルが2機展示してある。 
家族連れの子供らが「わあ、飛行機だ カッコいい・・」などといいながらはしゃぎまわっている。 
両親も「おお、いいねえ、写真撮ろう・・」と言ってニコニコ顔である。 

若い両親には過去に日本で戦争があったこと、尚且つ、戦争末期、若者が特攻隊などの肉弾戦で戦ったことなど認識の外であろう。 

これらの親子の姿が平和というものであろう・・?、
でも、一体「平和」とは何であろうか・・? 

少なくとも戦争実感者の小生としては、安堵感の中に少々の歯痒さも感じられるのであるが・・!。


他にも隊員や平和観音堂・実母の銅像、鎮魂の歌碑や慰霊記念碑、特攻英霊芳名、そして、右手奥に三角兵舎などがある。
これらの建立者は何れも遺族や関係者であったり、戦没者の会であったり、戦友会だったりと様々のようである。 

三角兵舎は特攻隊の兵舎を復元したもので、敵の目を欺く為に杉木立の中に半地下壕を作り、地上には三角の屋根しか見えない作りになっているという。 
出撃の前夜、ここで鉢巻姿の若者たちが壮行会を催し、酒を汲み交わし、隊歌を歌ったり、最後の手紙や遺書を書いたりして最後の夜を過ごしたという別れの宿舎でもある。

園内、歌碑の中にこんなのがあった。

『 アリランの 歌声とほく 母の国に 
念(おもい)いを残し 散りし花花
 』


当時、日本の属国であった朝鮮半島の出身の外国人も、知覧から日本という国の為に特攻隊員として出撃していったという。 
韓国の「反日」の一因は、このあたりにも起因するのかもしれないが・・!。


500円の入場料を払って記念館の中に入ってみた。 
丁度、入口部の広めのスペースに数十人の若き自衛隊員が床に腰を下ろして、館内の案内人の説明に聞き入っていた。 
やむなく特攻に発進していった英霊たちの事例を、写真や文例を見せながら訥々と語りかけ、聞入る隊員の真剣な眼差しが印象的であった。


展示品は主に、若くて逝った隊員たちの遺影写真や貴重な遺品や資料、そして肉筆の文面等である。
そこの一文を読むだけでも胸が熱くなるのを覚える。 

未だ、うら若き二十歳前後の諸君が、もう二度と戻らないであろう死出の旅立ちに当たって両親に感謝し、現在の状況下を素直な思いで述べ、祖国日本を後世に託す願いを“万感の想い出”を込めて切々と書き連ねているのである。 
この文面を渡されて実際に読む、肉親や恩師らの胸中はイカばかりか、これまた察するに余りあるのである。

ただ、時勢下とはいいながら、並みの若人が「爆弾を抱えて敵艦に体当たりする」これらの自殺行為自体、上司の命令であったとしても、本人達は些かの疑問を生じなかったのか・・?、
このことが文集の文面には一切無かったように思ったが・・?。 

これは、若者の余の純粋さゆえか、検閲によるものか、はたまた館内への非展示によるものか・・?、 察しはつかないが。 

ただ言えることは、この犠牲的精神は、次世代の人々へ託して“逝った“ことだけは確かであろう。

フロアーの一角には、日本でただ一機現存する陸軍三式戦闘機「飛燕(ひえん)」や陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」、海から引き上げられた零戦(海軍零式戦闘機)、そのほか戦闘機や戦争関係資料が展示されていた。


引続き、「知覧特攻」について・・、

  
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