素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

新・日本紀行(119)長崎 「寺町と寺院群」

九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)



『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 新・日本紀行(119)長崎 「寺町と寺院群」   、




石橋群と長崎寺町



https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/Nagasaki_Kofukuji_M5667.jpg/1024px-Nagasaki_Kofukuji_M5667.jpg
興福寺;寺町にある、日本最古の黄檗宗の寺院




  
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先ず、長崎中華街へ・・、
出島の直ぐ隣に新地・長崎中華街がある。横浜中華街、神戸南京町とともに日本三大中華街と称される。 
江戸時代の鎖国下でも長崎はオランダの他、対中貿易港としても認められていて、最盛時には約1万人の福建省出身者を中心とした中国人が長崎市中に住居していた。
の人口は7万人であったから、いかに華僑(かきょう・外地に住みながら、中国の国籍を持つ漢民族)が多かったかが判る。

中国人の住居は丘陵地の唐人屋敷に限定されたが、1698年の大火のため焼失、唐人屋敷前面の海を埋め立てて倉庫区域を造成した。
そして在住中国人は海岸に近い新地に移り住むようになった、これが長崎新地中華街の起源という。

近代になって福建省福州市の協力によって石畳が敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねる中華街となり、四方には中華門も立てられた。
長崎は中国色が濃いのは中華街だけに限らず、長崎の町には長崎くんち精霊流しペーロンなど中国色の強い祭りが行われ、孔子廟崇福寺(寺町にある長崎唐風三福寺の一つ)のような唐寺も多いのである。


出島が面する「中島川」の、その上流に長崎名物「眼鏡橋」が在る。
出島から、長崎軌道(市電)に沿って中島川を上流方向へ、「賑橋」まで車を進めてみた。



その前に・・、
中島川の東側の風頭山山麓に寺町通りと称して、十幾つの立派な寺院がほぼ横一列に並んで建っている。
中でも中国唐風の黄檗宗臨済宗曹洞宗に次ぐ禅宗の一つで明朝風様式を伝えている。
大本山は、京都府宇治市黄檗山・萬福寺)の寺院で興福寺崇福寺、福済寺という異色あふれる壮大な寺院は「長崎三福寺」ともいわている。 

寺院建設には訳が有って、幕府によるキリシタン弾圧のための策略があったといわれる。
鎖国令が発布される少し前、キリスト教禁止令を出した幕府は、それまであった11のキリスト教の教会・寺院をことごとく取り壊し、変わりに仏教寺院を建てまくったといわれる。
(明治期における廃仏毀釈に類似する・・?)
長崎の仏教は、幕府から手厚い保護を受けてきたようで日蓮宗をはじめ浄土宗の寺など、それぞれに堂々とした門構えで建っている。


序ながら、この寺院群の奥まったところ、深崇寺という寺の横の斜面(「竜馬通り」の名が付く)に沿った場所に、坂本龍馬の「亀山社中」の跡にたどり着く。

慶応元年、龍馬は浪士たちを集めて船舶貿易の社中(結社、会社)を結成する。これは日本最初の商社、兼、私設海軍で、後の海援隊である。亀山というのは、その山の一角の名前なのだろう。(竜馬については、土佐の高知に詳細あり・・、)

又、長崎の寺町通りの入り口辺りが歌でも有名になった「思案橋」があり、路面電車思案橋という駅もある。 
江戸の吉原、京の島原とともに、日本三大遊郭(三場所)の一つとして知られている長崎の「丸山」はこの辺りである。 

丸山には主に長崎の町民や上方の商人が多く出入りしていたらしいが、特に丸山の遊女は唐人屋敷やオランダ出島への出入りが許され、異国人との交流があったともいう。 

思案橋」の名は、“行こうか戻ろか”と思案しながら思案橋を渡り、男達は遊郭の入口「二重門」が見える場所にあった「思切橋」で立ち止まり、この橋の欄干に刻まれてある“思切”の文字で迷いを打ち消し、決意を固めこの橋を渡り二重門を潜ったという。 
思案橋と思切橋がバランスをとって架かっているのがまた洒落ていて、良い・・?。


次回、眼鏡橋(石橋群)」


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