素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

平成日本紀行(215) 輪島 「ぷらっと訪夢」

.「寝てばかりいる賢人より、放浪する愚人」 平成日本紀行(215) 輪島 「ぷらっと訪夢」 . 旧輪島駅の「ぷらっと訪夢」 旧輪島駅ホームと「シベリア」行きの次駅表札 能登道路の終点である穴水の此木から、一般道を「輪島」に向けて走ることにする。 途中、別…

平成日本紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」

.「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」 <松尾芭蕉(奥の細道)> 平成日本紀行(214) 門前町 「曹洞宗・祖本山」 . 豪壮な総持寺祖院の山門 総持寺祖院 山門と僧堂 この辺りの地名で、「門前町」というのは一寸な奇異な感じもするが・・?…

平成日本紀行(213) 能登 「能登金剛」

.「旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにする」 <イギリスの諺> 平成日本紀行(213) 能登 「能登金剛」 . 能登金剛のヤセの断崖(東尋坊より高い・・?) 志賀町増穂浦の世界一長いベンチ(ギネス登録) 気多大社から海岸道の国道249を…

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社の由緒」

「旅から戻ってくると、故郷の煙さえも甘く気持ちのよいものである。」 (グリボエードフ;帝政ロシアの外交官・作家・作曲家) 平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社の由緒」 . 気多大社神宮寺の正覚寺 気多大社が文献に初めて見えるのは「万葉集」である。 天…

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社」

平成日本紀行(212)羽咋 「気多大社」 . 気多大社の大鳥居と本殿 千里浜を左に見ながら、柳田のインターで高速より出る。 ほぼ同時に「気多大社」の大鳥居が目に入った。 4本の支柱に支えられ、風雪に耐えているかの如く、やや色褪せて木製の大鳥居が天を刺し…

平成日本紀行(212) 能登・羽咋 「千里浜」

「さすらいと変化を愛するものは生ある者である。」by(ワグナー) 平成日本紀行(212) 能登・羽咋 「千里浜」 . 羽咋市の「千里浜なぎさドライブウェイ」 金沢市を後にえしt能登を目指す。能登入り口にあたる海岸線の「能登有料道路」を目指す。 北陸道を横…

平成日本紀行(211) 金沢 「金沢の茶屋街」

.「この人生は旅である。その旅は片道切符の旅である。往きはあるが帰りはない」 <吉川 英治> 平成日本紀行(211) 金沢 「金沢の茶屋街」 、 東茶屋街の豪奢な一角 兼六園、金沢城址の北方、浅野川の辺に「ひがし茶屋街」があった。 石畳の路地に、古い佇ま…

平成日本紀行(211) 金沢 「金沢城」

平成日本紀行(211) 金沢 「金沢城」 . 金沢城と兼六園を結ぶ石川橋と金沢城公園 兼六園に隣接して「金沢城公園」がある。主要道を跨いだ貫禄のある立派な橋・石川橋が両所を結んでいる。 その向こうには石川門があり、左右に二つの楼閣が見えている。 この貫…

平成日本紀行(211) 金沢 「兼六園」

「世界は一冊の本だ。旅をしないものはその本を一頁しか読めないだろう。」 アウグスティヌス(古代キリスト教世界で最大の教父、神学者と言われる) 平成日本紀行(211) 金沢 「兼六園」 . 兼六園(入場口付近)と徽軫灯篭と黄門石橋 兼六園の灯篭と石橋 見…

平成日本紀行(210) 小松 「安宅の関」

「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」 <ゲーテ> 平成日本紀行(210) 小松 「安宅の関」 . 写真:安宅関の銅像 弁慶(中央)・富樫(右)・義経(左)の各像、石碑に刻まれた「智・仁・勇」の文字で、智は弁慶の知恵、仁は富樫の情…

平成日本紀行(209) 吉崎 「高僧と浄土宗派」

「希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。」 (スティーブンソン;イギリスの小説家、冒険小説作家、詩人、エッセイスト) 平成日本紀行(209) 吉崎 「高僧と浄土宗派」 . ここで法然、親鸞、蓮如たちの浄土宗とじ浄土真宗…

平成日本紀行(209) 吉崎 「本願寺・蓮如」

平成日本紀行(209) 吉崎 「本願寺・蓮如」 . 北潟湖と蓮如上人記念館略図(資料) 再び国道305から芦原へ出て、金沢方面を目指す。 「北潟湖」という湖畔を右に見ながら暫く走るようになる。 湖畔は葦の茂る静かな湖で、さして深さも感じられず、所々で釣り…

平成日本紀行(208)三国 「東尋坊」

平成日本紀行(208)三国 「東尋坊」 東寿坊お絶壁 東寿坊 芦原から三国の、あの「東尋坊」までは一投足であった・・、案内に従って進み、道路側帯が松の緑の覆われている間をぬって行くと、お土産屋や宿舎のある賑やかな一角へ出る。 東尋坊岬であった。 観光…

平成日本紀行(208) 芦原 「芦原温泉」

「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン) 平成日本紀行(208) 芦原 「芦原温泉」 . 日帰り温泉施設 「セントピアあわら」 えちぜん鉄道三国芦原線の「あわら湯のまち駅」 九頭竜川の清流を渡り、今…

平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(3)

「漂泊の旅から、学問が生まれる」 平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(3) . 写真:現在の白山神社本殿 平泉寺(賢聖院)の名勝・庭園(地面は全て苔に覆われている) 16世紀の戦国期、当時の寺社勢力は農民層をはじめとして多数の信者を抱えるだけ…

平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(2)

日本周遊紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」(2) . 資料:往時の平泉寺絵図と現在の様子 九頭竜川中域の平泉寺・白山神社と白山信仰について・・、九頭竜川中流域は、勝山市域で白山山域の山麓に位置する。 平泉寺・白山神社は、加賀、越前、飛騨(石川・福井…

平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」

「旅は道連れ、世は情け」>(日本の諺;江戸いろはカルタ) 平成日本紀行(207) 三国 「九頭竜川流域」 . 九頭竜川河口に広がる三国港 荒々しくも見所一杯の越前海岸の国道305号を北上し、三国町に近付くに従って、どうやら穏かな平地が広がってきた。 左手に…

平成日本紀行(206) 越前 「越前海岸」

.「旅へでたら、石ころをひろってこい・・!」 平成日本紀行(206) 越前 「越前海岸」 . 越前岬灯台 国道が交差する越前梅浦漁港 弁慶の洗濯岩と柱状節理の鉾島 呼鳥門(こちょうもん) 越前海岸の水仙 鄙びた、玉川温泉から新造成った玉川トンネルを抜けると…

平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」(2)

「旅のなかで生きる喜びを感じ、創造への意欲をかりたてる」 平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」(2) . 越前町厨地区:甲羅に似た「越前がにミュージアム」 この先、その越前海岸を行くことにする。 早速、険しい海岸線のR305を行くことになる。 間もなく…

平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」

「旅は私にとって、精神の若返りの泉だ」 <アンデルセン> 平成日本紀行(206) 越前 「越前地方」 . 日本海の荒波寄せる特異な越前海岸 敦賀から福井・越前に入るには、越境山脈を超えなければならない。ところで、現在の福井県の県域は若狭湾から北陸と呼ば…

平成日本紀行(205) 敦賀 「原子力発電」

旅の諺 「東へ行った、西にも行った、やはり、わが家が一番だった」 平成日本紀行(205) 敦賀 「原子力発電」 . 敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」 敦賀へ来たら、もう一言書かねばなるまい、「原発」のことである。敦賀原発街道とも言われ、敦賀一帯は原発…

平成日本紀行(205) 敦賀 「気比祭神と御食(みけ)の国」

「百聞は一見にしかず「」 <日本の諺> 平成日本紀行(205) 敦賀 「気比祭神と御食(みけ)の国」 . 気比神宮摂社・角鹿神社(ツヌガ神社) 若狭地方の敦賀は、古来より日本海を通じて大陸との交流が盛んでであった。古代(奈良朝時代以前は歴史的には原始古…

平成日本紀行(205) 敦賀 「松原と神宮」

「旅の終わり、そして本当の旅の終わりは・・?」 平成日本紀行(205) 敦賀 「松原と神宮」 。 気比の松原 気比神宮大鳥居と本殿 敦賀半島の根元にあたる旗護山トンネルを抜けると、ここは既に敦賀である。 更に、若葉町の交差点を左に折れ、ぶち当たったとこ…

平成日本紀行(204) 三方 「三方五湖」

「長生きするものは多くを知る。 旅をしたものはそれ以上を知る。」 <アラブの諺> 平成日本紀行(204) 三方 「三方五湖」 . 写真(資料):三方五湖俯瞰 三方五湖の1つ「久々子湖」 国道27号の丹後街道から三方町、三方五湖へ向かった。 先刻から若狭湾の入…

平成日本紀行(203) 小浜 「お水送りとお水取り」

「寝てばかりいる賢人より、放浪する愚人」 平成日本紀行(203) 小浜 「お水送りとお水取り」 . 写真:神宮寺本堂 本堂横の霊水・閼伽水 霊水・閼伽水の名札 写真:鵜の瀬の清流 「お水送り」の神事 その神宮寺本堂の手前に霊水の井戸・「閼伽水」というのが…

平成日本紀行(203) 小浜 「神宮寺と神仏習合」

「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」 <松尾芭蕉(奥の細道)> 平成日本紀行(203) 小浜 「神宮寺と神仏習合」 . ところで、一般に神宮寺(じんぐうじ)とは、日本において神仏習合思想に基づいて神社を実質的に運営していた仏教寺院のこ…

平成日本紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」

「着くことよりも、楽しい道中がよい」 平成日本紀行(203) 小浜 「若狭一の宮と神宮寺」 . 若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社 神宮寺本堂と神宮寺・仁王門付近 海神(綿津見神:ワタツミノカミ)の娘、豊玉姫を祀る若狭姫神社と、豊玉姫の夫、彦火火出見…

平成日本紀行(203) 小浜 「後瀬山」

平成日本紀行(203) 小浜 「後瀬山」 . 後瀬山(左の山)の麓にある空印寺(元、若狭の守護・武田家守護館) 「鯖街道」は、現在の国道27号線の上中町より303号線、367号線となり、所謂、若狭街道と呼ばれる国道を、比叡山系から比叡山山麓、大原を経て京都に…

平成日本紀行(203) 小浜 「鯖街道」

.「旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにする」 <イギリスの諺> 平成日本紀行(203) 小浜 「鯖街道」 . 小浜市内、鯖街道起点の路面表示 舞鶴を後にして、国道27号線、通称、丹後街道を行く。舞鶴から若狭へ抜ける半島を横切るようにし…

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚者と戦争難民」

平成日本紀行(202) 舞鶴 「引揚者と戦争難民」 , 引揚者、そして戦争難民とは・・?! 、一般に、満州からの集団引揚げは1946年春から一時期の中断を含め、尚連続して行われていたらしいが、しかし中国内戦が激化したことや、その果てに中国大陸を支配した中…