素晴らしい日本国内の旅

日本という国は自然、文化ともに素晴らしいところです、 そんな日本国内の各所を巡ります、

島根県

平成日本紀行(186) 美保関 「国引き伝説」

平成日本紀行(186) 美保関 「国引き伝説」 . 神話や伝説の多い島根半島 (Wik) 島根半島は「神が海の向こうから引っ張ってきた」という「国引き伝説」がある・・!、そして遠流の島・隠岐の島諸島と竹島は・・? 、これは時空を超えた伝説か・・!?、 「島…

平成日本紀行(186) 美保関 「美保関灯台」

平成日本紀行(186) 美保関 「美保関灯台」 . 写真:雄大な展望台を持つ美保関の地蔵崎 美保関灯台 美保関の灯台へ向かう。 岬のほぼ突端辺りから斜面を登ると、良く整備されたさっぱりした園地があり地蔵崎園地とあった。 海上交通の要衝であったこの地で、…

平成日本紀行(186) 美保関 「美保神社」

平成日本紀行(186) 美保関 「美保神社」 . 美保神社参道鳥居、 豪壮な拝殿と奥に本殿 美保神社は、事代主神(大国主の息子)である「えびす様」を祀る・・、下って、美保神社へ参った。 美保漁港のすぐ前に参道があり、第一、第二と二本の鳥居が迎え、本殿は…

平成日本紀行(186) 美保関 「関の五本松」

平成日本紀行(186) 美保関 「関の五本松」 、 堺水道に架かる境水道大橋 関の五本松、「あとは伐(き)られぬ夫婦松」・・ 、悠々とした「境水道」際を行く。 この水道は島根県と鳥取県の県境でもある。この外海寄りに美事な橋が架かっている、「境水道大橋…

平成日本紀行(186) 美保関 「昭和の決断」 

平成日本紀行(186) 美保関 「昭和の決断」 、 島根半島と中海(中央が大根島 衛星写真・wiki) 「昭和の決断」、中海の大干拓事業中止・・! 、国道431から中海サイドを経て島根半島の「美保関」へ向かう。 中海は地図上を見ると大根島(だいこんじま)、江…

平成日本紀行(185)玉造 「三種の神器」

平成日本紀行(185)玉造 「三種の神器」 . 因みに、「三種の神器」について 、 三種の神器(サンシュノジンギ)とは、瓊瓊杵尊(ニニギ)が天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする鏡、剣、玉を指す 。三種の神器は、日本の歴代天皇が継承している宝物…

平成日本紀行(185)玉造 「八坂瓊の勾玉」

平成日本紀行(185)玉造 「八坂瓊の勾玉」 「玉造」はその名の如く、「三種の神器」の一つ、八坂瓊の勾玉(ヤサカニノマガタマ)の製造元であった。松江の南に、玉造温泉がある。 小生、若かりし頃(20代)出張仕事のついでに山陰を旅行した際、宿泊した温泉…

平成日本紀行(184) 松江 「小泉八雲」 

平成日本紀行(184) 松江 「小泉八雲」 、 松江城のお堀端に面する旧小泉八雲邸 小泉八雲が「神々の国の首都」と言わしめた松江・・、お城を下って堀川の北部、その名も「北堀町」の古い屋敷群をのぞいてみた。 堀川をレイの遊覧船が水面をゆっくり滑って行く…

平成日本紀行(184) 松江 「松江城」

平成日本紀行(184) 松江 「松江城」 松江城天守閣 松江城は、やや小振りだが・・?信州・松本城に類似している・・?、 松江に向かっている。 松江市街に入り西末端部の宍道湖と大橋川に架かる宍道湖大橋を右に見ながら左折すると、すぐに高めに「松江城」の…

平成日本紀行(183) 斐川 「宍道湖」 

平成日本紀行(183) 斐川 「宍道湖」 、 宍道湖からの夕景 その宍道湖の北側を進む。 出雲大社から来ている一畑電鉄大社線が並行して走っている。 布崎駅から園駅辺りから宍道湖の湖面が見え出した、走行してても湖面から緩やかに風が吹き込んでくる。 湖面を…

平成日本紀行(183) 斐川 「オロチ伝説と斐伊川」 

平成日本紀行(183) 斐川 「オロチ伝説と斐伊川」 、 さて、早朝の「出雲大社」参拝見学を終えて一旦、宿に戻り、遅い朝湯と朝食を頂いて宿を出る。 国道9は丁度朝のラッシュの時間帯らしく、上り・・?の松江方面が予想外に混雑していた。そのため宍道湖へ出…

平成日本紀行(182)出雲 「出雲大社の遷宮」

平成日本紀行(182)出雲 「出雲大社の遷宮」 . 出雲大社の参道松並木; 参道は真中と両側と松並木によって三つのゾーンに分かれている。 昔は、中央の参道は皇族の方々や例祭の時の天皇の勅使が通られる道とされていたという。 参道横、勅使館と手水舎の間に…

平成日本紀行(182)出雲 「出雲神話と史実」

平成日本紀行(182)出雲 「出雲神話と史実」 . 「神無月」というが、出雲地方に限って「神在月」という・・! 、ところで、オオクニヌシが行った「国造り」とは、列島のどのくらいのエリアに及んだのか・・?。 記紀や「出雲風土記」などによると、先ず、「紀…

平成日本紀行(182)出雲 「出雲の国と神話」 

平成日本紀行(182)出雲 「出雲の国と神話」 . 神話の古事記や日本書紀による神代の神武天皇までの譜系図 (出典;http://www.taimayamaguchi-jinja.org/index.php?%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C) 「出雲の国」とは・・?? 、神話の古事記…

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝礼の意義」

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝礼の意義」 . 出雲大社への拝礼は、希望や願望と同時に、“厄災を起こさずに鎮まってて下さい”という意味でもあるとか・・、出雲大社の広大な境内(実は、境内そのものは伊勢神宮や宇佐神宮よりかなり小規模)の内、拝殿、本殿…

平成日本紀行(182)出雲大社 「国譲り伝承」

平成日本紀行(182)出雲大社 「国譲り伝承」 、 古代・出雲大社の想像図(資料) 大国主が、大和の神へ「国譲り」を行ったとされる真意は・・? 、出雲大社が最初に創建されたのはいつのことなのか・・?、 その具体的年代を知る事は非常に困難であると言われ…

平成日本紀行(182)出雲大社 「御本殿」

平成日本紀行(182)出雲大社 「御本殿」 , 出雲大社の主要神殿の配列;手前から拝殿、八足門、桜門、一番奥が御本殿 出雲大社・本殿(Wik) 本殿内部の祭神配列の異様さ・・? 、その奥の高床の最上位にある神殿、つまり大社造りの御本殿に御神体が鎮座してい…

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝殿と拝礼」

平成日本紀行(182)出雲大社 「拝殿と拝礼」 、 出雲大社の主要神殿の配列;手前から拝殿、八足門、桜門、一番奥が御本殿 出雲大社・拝殿 (以上はWikから) 出雲大社での参拝は四礼四拍手一礼が基本で、四回の拍手は、四合わせ(幸せ)に通ずるという・・、…

平成日本紀行(182)出雲 「日本人と藁」

平成日本紀行(182)出雲 「日本人と藁」 、 出雲大社の注連縄 引き続き、注連縄に絡んだ「藁」(わら)について・・、序ながら、昨今、都会では「藁」を見かけなくなったが、それでもお正月になると注連飾りなどで、藁に接する機会がある。 注連縄を作るため…

平成日本紀行(182)出雲 「出雲大社」 

平成日本紀行(182)出雲 「出雲大社」 、 出雲大社の神楽殿を飾る日本一の「大注連縄」 先ず、出雲大社の日本一の大注連縄について・・、午前6時を回った頃の早朝、国道9から国道431にて大社方面へ向かった。 国道は、それなりであったが大社の町は未だ朝の静…

平成日本紀行;石見銀山紀行(12) 「石見銀山史」(2)

平成日本紀行;石見銀山紀行(12) 「石見銀山史」(2) . 大森代官所跡近くにある「井戸平左衛門正明」を祀る井戸神社 序ながら、「いも代官」と言われた大森代官の逸話を一つ、「石見銀山」の代官所は大森町に設けられ、幕末まで59人の奉行・代官が交代で…

平成日本紀行;石見銀山紀行(11) 「銀山の歴史」

平成日本紀行;石見銀山紀行(11) 「銀山の歴史」 . 「石見銀山」が、何時、誰に発見されたのかを確実に伝える資料は今のところ見つかっていないという。 ただ、「銀山旧記」という説話古文書にはは以下のように記されているという。『 室町後期、博多の…

平成日本紀行;石見銀山紀行(10) 「銀山街道」

平成日本紀行;石見銀山紀行(10) 「銀山街道」 . 石見銀山の尾道銀山道 ( このMAPは、筆者・○○氏から拝借したものです。 詳細URL; http://www.geocities.jp/saigokuh16f6/49iwami-ginzan.html ) 龍源寺間歩より先は、車では行けず山道となる。 先にも…

平成日本紀行;石見銀山紀行(9) 「鉱山の守神と間歩」

平成日本紀行;石見銀山紀行(9) 「鉱山の守神と間歩」 . 石見銀山遺跡・「龍源寺間歩」入口 龍源寺間歩の内部 落ち着いた雰囲気の「安養寺」からは道路は山峡の地へ入り、車がやっと一台通れるくらいの道幅である「新切間歩」や「福神山間歩」などがあり…

平成日本紀行;石見銀山紀行(8) 「大久保石見守長安」

平成日本紀行;石見銀山紀行(8) 「大久保石見守長安」 . 街外れの山襞に苔むして一人寂しく眠る 「大久保石見守長安」の墓 人家も疎らになった山間の地をゆっくりと車を進めると山裾の緑陰の地、古き石段を少々登ったところの静謐の地に「大久保石見守長…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(7) 「銀山の街・大森地区」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(7) 「銀山の街・大森地区」 平成 代官所跡の建物7は、現在は「石見銀山資料館」 大森の町並みと「五百羅漢」 仁摩の町へ入って間もなく大きな石見銀山への案内が目に付く、その案内に従って内陸山地へと向かった。 暫く、潮…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(6) 「沖泊・鞆ヶ浦」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(6) 「沖泊・鞆ヶ浦」 、 深い入り江の「沖泊湾」 穏やかな「鞆ヶ浦」 入江で船を係留する岩・「鼻ぐり岩」 (以上、Wikから出典) 温泉津の北方先端、湯里から馬路の間のリアス形海岸入江に、石見銀山の銀の積出港であった「…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(5) 「温泉津温泉」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(5) 「温泉津温泉」 . 温泉津温泉 温泉津温泉・「薬師の湯」 江津を出ると、すぐに山陰本線の山あいの「温泉津駅」に至った。 やはり赤い屋根のチョット豪華な民家風の駅であった。「温泉津」は、普通に読めば「おんせんつ」で…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(4) 「佐比売山神社」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(4) 「佐比売山神社」 , 石見銀山の守神・「佐比売山神社」(Wikより) さて石見三田・世界遺産の大田市(おおだし)であるが、大田市は雄大な自然、温泉や食事など観光をするのに魅力の多い街で、情緒あふれる温泉津温泉、鳴…

平成日本紀行;石見銀山遺跡(3) 「石見三田」

平成日本紀行;石見銀山遺跡(3) 「石見三田」 , 引続き「石見地方」のことである。 石見国(いわみのくに;石州:せきしゅう)は、東西に長いため東から大田市を中心とする東部を「石東」、江津市や浜田市を中心とする中部を「石央」、益田市を中心とする…